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落合監督と自分の違い VVV ドラゴンズ祝!2連覇 VVV [中日ドラゴンズ]

自分が、「今シーズンの中日はこの日で終わりだ」と思った日、
落合監督は、
そんなこと微塵も考えていなかった。
10ゲーム差開こうが、優勝を諦めてはいなかった。
「監督は、どうしたらチームを優勝させること」を考えるのが仕事という信念を持っていた。
そこが、自分と違うところだ。「ここで諦める」か、「ここでまだ勝機を見出すか」の違い。
とにかく、強かったヤクルト。
失速したと見るや、それを一気に追い抜いた中日。
「M1」で、巨人に3連敗。
最後、私の優勝日予想は外したけれど、見事なリーグ制覇だった。
我が中日ドラゴンズが、史上初の2連覇だよ!
FANとして最高の気分だ。
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落合監督の野球から学びえたプロ意識、最後まで諦めない姿勢、最終終着点という考え方、
何らかの目標設定をした時に応用したいなぁと思った。
「今の新しい中日の球団社長は落合嫌い」だと新聞に出ていたけど、
来シーズン、高木監督でAクラス以上を確保できず、営業売り上げも落ちたら、どう責任を
取るのだろう?
落合監督に言いたい。その時こそ、その球団社長の前でガッツポーズをしてやれ!とね。
2年後、恐らくだけど、立浪監督誕生でも同じことが言える。
落合監督の偉業が、問われる日が必ず来る。

さぁ、次はクライマックス・シリーズ。それで、完全優勝しかないだろう。
相手は、ソフトバンク・ホークスであって欲しい。
落合退任という寂しいけど、ストーリーラインがある訳だから。
見せろ、落合、日本一!
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何度も言うけど、中日の4番、落合がいなかったら、本当に野球をやっていなかったろうな。
野球を好きになっていなかったと思う。
あの打法を真似ていた奴が何人いたか。呼吸しながらタイミングを取るって難しい。
バッティングセンターに通い、120kmの速球をミートできるまでになった。
自分で言うのも恥ずかしいけど、通常の練習の後、夜9時から相当練習したと思う。
その結果は、ちゃんとついてきたし。

1打席価値30万円見たさに何度ナゴヤ球場に足を運んだか。
もちろん、彦野、立浪、パウエル、宇野、仁村、今中、山本昌、与田ら、素晴らしい
選手がいてこそなのだけど。
あと、闘将・カリスマ星野監督。プロ野球が面白かったんだよなぁ。

小学5年生からドラゴンズFANだけど、こんなに強い中日、嘘みたいだもん。
学生時代は、優勝争いはするけれど、ここぞという試合で勝てないチームという印象が
ずっとあった。
伝説の1994年10月8日なんかその典型じゃない?
私がFANとなって、リーグ優勝した88年、99年。共に日本シリーズを落としている。
落合監督となった2004年。この年も、西武に3勝4敗で落とした。
2006年は、マスコミが誘導した日本ハムの「新庄劇場」に呑まれた。
2007年は、CSという制度で勝ち上がり、リーグ2位から日本一を勝ち取った。
2010年は、パ・リーグ3位の千葉ロッテが掲げた「史上最大の下剋上」という
ストーリーラインに呑まれてしまった。
2011年は、落合監督率いる中日での完全Vのラストチャンス。

落合監督には、まだまだドラゴンズの監督でいて欲しかったなぁ。
2004年よりも以前に、いつか中日の監督になって欲しいと本気で思っていたからね。
あの伝説のトレードで中日の主砲をやってたんだから。有り得ると思っていた。
その夢を叶えてくれた白井オーナーに感謝。8年、落合監督が率いる強い中日を
見られたのだから。

完全V、期待してみたい。
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