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大地震、その時、その日の自分の行動の記憶 [Private Room]

その日は、職場近くの商業施設の喫茶店で休憩をしていた。
大きな仕事が一段落したところだった。
アイスティーを飲みながら、
音楽を聴いて、メールして、のんびり過ごしていた。

14時45分頃か、
小さな揺れが起こる。
小さい地震は、何度も経験しているので、驚くことではない。

ところが、その地震がなかなか収まらないー。
それどころか、段々、強くなっていくー。
「建物が壊れる!!」
周りの人たちの様子がみるみる変わっていく。
テーブル下に身を隠す基本動作をする人。
駆け出して行く人。
今まで経験したことのない激しい横揺れ。

建物が壊れそうになったところで、自分も脱出へ急いだ。
お金も払わずに。
多くの人が階段を駆け下りていた。
その異様な光景はこれまでもちろん見たことがない。
恐怖に怯える人々。

地震が落ち着いたところで、カフェに戻って精算。
それから職場に戻った。
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職場に戻っても、余震が続く。
TVで速報される原因となった宮城発の大震災。
その30分後、偶発的に茨城でも大地震が起き、その影響が、
東京にまで及んだことを知る。
t-ichimen.jpg 
帰宅時間。
電車が点検中で麻痺状態。
人身事故とは違うのに、2~3時間程度で回復するだろうという安易な予測。
帰れない。
タクシーは捕まらない。
2時間タクシーを待って、乗れない。
というか、来ない。
長蛇の列。
寒い。
寒過ぎる。
我慢は限界を超え、
職場で一夜を明かすと決めた人たちの元へ。

それから1時間休んだ。
まだ、動かない電車。

午後10時半、職場から歩いて帰る決意をした。
本気で歩いて帰ろうとは思っていない。
幹線道路で上りタクシーを捕まえようとしたのだ。
寒い中、多くの人が歩いていた。

タクシーは、手を挙げても、そう簡単にはいかない。
誰か乗っている。
なぜか、「回送」だったりする。
歩くこと30分。
「空車」の文字が。
手を挙げた。
扉が開いた。
行き先を告げると、「OK」。
やっと帰れる安堵感。
タクシーの運転手さんと震災についての話をしながら、家路に着いた。
5100円。

マンションのエレベーターは停止。
階段を駆け上がり、部屋の中へ。
本棚が動いていた。
CDやDVD、本が散乱していた。
まるで、泥棒が入った後のようだった。

散らかったものを片づけて、
冷水で、髪を洗い、
TVを点ける。
もう疲れ果てていた。

家があって、寝るところがある幸せ。
当たり前のことが、当たり前にあることがいかに幸せかを実感。

震災から初めて迎えた平日。
まさか、都市機能がここまで麻痺するとは思っていなかった。
電車が動かない。
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今まで、考えたことのなかったこと。

食事の心配。
移動の心配。
電気やガスの心配。

被災者の皆さんの避難所生活、その配給の様子を見ていると、
ドキュメンタリーで見たことしかない戦時下のようだ。
財産なんて無力だ。

でも、忘れてはいけない。
破壊の後には、「創造」があるということを。
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